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づつとずつの違いは? どっちが正しい? 少しずつと少しづつなど使い分け

 

専門家たちでも困ってしまうような違いというのがありますよね。ずつとづつもそんなものの一つです。
「どちらが正しいの?」と考えがちですが、言葉としてはどちらでも良いそうなんです。
少しいい加減な感じですが、それには歴史的な経緯があるんですね。
ずつとづつの違いや意味、使い分けなどを書いただけではなく、その歴史的変遷をまとめてみました。

日本の文化で海外でも評価の高いものが浮世絵です。その中でも天才と言われるのが葛飾北斎。北斎の肉筆画がオランダのライデンで見つかったそうです。

興味を持たれた方は以下の記事を参照して下さい。

葛飾北斎の肉筆画がライデン国立民族学博物館(オランダ)で見つかる!!⁂画像⁂
葛飾北斎の水彩画がオランダで見つかり、驚きが広がっています。 新たに見つかった水彩画が西洋の手法を取り入れた北斎としては異色の物だったからです。 しかし、一方で彼の絵画の中には遠近法を使っている様な絵がありました。 日本画の常識と葛飾...

この記事では日本語の変遷について書かれています。特に明治維新との関係がとても深いと言えるでしょう。

その一方で日本に海外から来た人達もいました。しかも文献など無い古代と言われる時代の事です。

奈良の都にペルシャ(現在のイラン)から…。興味を持たれた方は以下の記事を参照して下さい。

奈良の都にペルシャ人がいた?ペルシャって何処?どんな人達?
とても興味深い事実が明らかになりました。奈良市の平城京跡から出土した木簡にペルシャ人を意味する「波斯」という名字が書かれていたことが奈良文化財研究所の調査であきらかになりました。 国内でペルシャ人の名前を印した木簡が発見されたの初めてで、...

歴史が長い国。日本。千年以上前の文献を多くの人達が読める国。

そんなやたらに歴史の味わいが深い国について見ていきましょう。

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ずつとづつの違いについて。まずは結論から。「少しずつ」と「少しづつ」の場合。

現在(2017年)ではどちらでもいいですよ。というのが結です。

しかし、現代では「ずつ」を使用するのが本則(正しい)と考えられています。

学校では「少しずつ」と「少しづつ」の場合、「少しずつ」の方を使うように指導されます。

また、公式の書類や文章、公共性の高い新聞など活字メディア、NHKなど公共放送も基本的には「ずつ」を使っています。

 

なぜこんなことになっているかというと、「づつ」の方は「歴史的仮名遣い」であり、「ずつ」の方は「現代仮名遣い」であるからです。

 

学校で古文を学習しますが、日本では平安時代に「蝶々」を「てふてふ」と書いていたと教わります。

書かれていただけではなく、平安時代はそのように発音されていたらしいのですが…

言葉は生き物、といいますよね。毎日新しい言葉が生まれています。

最初に書かれた時から1000年以上の時が経過しているわけで、現代の発音と違うのは当たり前と言えるでしょう。

 

つまりは長い歴史の中で書いた文字と発音がずれてしまっているわけです。

そこで、現代の発音に合わせましょう、というのが「現代仮名遣い」の基本的な考え方だと思います。

誰がそんなことを決めたのでしょう?それは「文化庁」です。

現代の日本の言葉を表記するための仮名遣いの基本として、文部科学省の外局である文化庁が「現代仮名遣い」を定めています。

現代仮名遣い」は先程、書いた通り「歴史的仮名遣い」を現代の発音に基づいて仮名の表記を変えたものです。

文化庁は戦後の昭和21年(1946年)、「現代かなづかい」を定めました。

この時に「づつ」ではなく、「ずつ」を正しい使い方とします、と決まりました。

これには、なんというか、戦後ということもあり、色々な意見があるんです。

それについてはのちほど。

その後、昭和61年(1986年)に「現代かなづかい」の一部が改訂され「現代仮名遣い」となりました。(以後「現代仮名遣い」に統一)

この時に「ずつ」が正しい使い方ですが、「づつ」も許容しますよ。

という内容に改められました。

第一の理由は、我々の文化的な遺産の数々が正当に評価されなくなる可能性があるためです。

当然といえば当然の措置ですが、さじ加減を間違えると面倒なことになる可能性もあります。

学校でももちろん「現代仮名遣い」が本則(正しい使い方)であると教えているわけですね。

それにより、試験などでは「ずつ」が正しいとして使われています。

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ずつとづつの意味には違いがあるの? ずつ づつの意味

もちろんですが、違いはありません。ずつ(づつ)の意味は以下の通りです。

 

[副助]数量・割合を表す名詞・副詞、及び一部の助詞につく。

1. ある数量を等分に割り当てる意を表す「一人に二本ずつ与える」「50人ずつのクラス編成」

2. 一定量に限って繰り返す意を表す。「1ページずつめくる」「少しずつ進む」

◎[補説]「一つ」「二つ」の「つ」を重ねたものか。中古から用いられる。

引用元:goo辞書

 

補説 が面白くて印象的ですね。ずつ(づつ)の由来に関してだと思います。

数を数える時の「一つ」、「二つ」の(つ)が重なったものが語源なのでしょうね。

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ずつとづつの使い分け。「現代かなづかい」と「現代仮名遣い」の違いとは?

昭和21年に制定されたのが「現代かなづかい」です。

このときは「ずつ」を使うことが本則とされ、「づつ」は使ってはいけないとされました。

この時のずつとづつについての仮名遣いは以下の通りです。

 

現代かなづかい

 

「ぢ」、「づ」は「じ」、「ず」と書く。

一、「ぢ」を「じ」と書くもの

あじ(味(アヂx)) ふじ(藤(フヂx)) わらじ(草鞋(ワラヂx))

ねじる(捻ぢるx) はじる(恥ぢるx) よじる(攀ぢるx)

じぞく(持続(ヂゾクx)) じ(痔(ヂx))

じく(軸(ヂクx)) じんち(陣地(ヂンチx))

 

二、「づ」を「ず」と書くもの

うずら(鶉(ウヅラx)) うず(渦(ウヅx)) みず(水(ミヅx))

ゆずる(譲る(ユヅルx)) うずめる(埋める(ウヅメルx))

さずける(授ける(サヅケルx))

めずらしい(珍しい(メヅラシイx)) はずかしい(恥かしい(ハヅカシイx))

しずかに(静かに(シヅカニx)) まず(先づ(マヅx))

だいず(大豆(ダイヅx)) ずじょう(頭上(ヅジョウx))

さんずのかわ(三途の川(サンヅノカワx)) ずが(図画(ヅガx))

 

出典:文化庁

 

 

その後しばらくして昭和61年に「現代かなづかい」が改訂され、「現代仮名遣い」となります。

この時に「づつ」もいいですよ。と改訂されています。

また、それ以外の具体的な用法、用途もまとめられました。

それは以下の通りです。

 

「現代仮名遣い」に関する内閣告示及び内閣訓令について

次のような語は、「ぢ」「づ」を用いて書く。

(1) 同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」

例 ちぢみ(縮) ちぢむ ちぢれる ちぢこまる

つづみ(鼓) つづら つづく(続) つづめる(約△) つづる(綴*)

〔注意〕 「いちじく」「いちじるしい」は、この例にあたらない。

(2) 二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」

例 はなぢ(鼻血) そえぢ(添乳) もらいぢち そこぢから(底力)

ひぢりめん いれぢえ(入知恵) ちゃのみぢゃわん

まぢか(間近) こぢんまり

ちかぢか(近々) ちりぢり

みかづき(三日月) たけづつ(竹筒) たづな(手綱) ともづな にいづま(新妻) けづめ ひづめ ひげづら

おこづかい(小遣) あいそづかし わしづかみ こころづくし(心尽) てづくり(手作) こづつみ(小包)  ことづて はこづめ(箱詰) はたらきづめ みちづれ(道連)

かたづく こづく(小突) どくづく もとづく うらづける

ゆきづまる ねばりづよい

つねづね(常々) つくづく つれづれ

なお、次のような語については、現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として、それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし、「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。

例 せかいじゅう(世界中)

いなずま(稲妻) かたず(固唾*) きずな(絆*) さかずき(杯) ときわず ほおずき みみずく

うなずく おとずれる(訪) かしずく つまずく ぬかずく

ひざまずく あせみずく くんずほぐれつ さしずめ でずっぱり なかんずく うでずく くろずくめ ひとりずつ

ゆうずう(融通)

〔注意〕 次のような語の中の「じ」「ず」は、漢字の音読みでもともと濁っているものであって、上記(1)、(2)のいずれにもあたらず、「じ」「ず」を用いて書く。

例 じめん(地面) ぬのじ(布地)

ずが(図画) りゃくず(略図)

 

出典:文化庁

 

これを見て何か思いませんか?

最初に昭和21年に「現代かなづかい」が成立した時は、ざっくりとした改変だったと思います。

まぁ、確かに言葉というのは、実際に使ってみるまではどこに問題があるのかわからないものだと思うんですね。

それは文法など、論理的な理由ばかりではないとおもいます。

実際に生きた言葉として使ってみなければわからない事が多いのではないでしょうか。

 

全然関係ありませんが、私も例えば「イナズマ」とカタカナで書く時は「ズ」と書きます。

それを「いなづま」とひらがなで書くときは「づ」と入力した後で頭を抱えることに。

そして、「稲妻」にふりがなをつける時は、あれれ?どうすんの??

 

ですから、40年後に改訂されるのは、ありがちなことではあります。

でも、昭和21年に成立した「現代かなづかい」の導入は少し唐突なのでは?

などと、どうしても考えてしまいます。

ええ、そうです。でも違うんですよ。

強引に進めたわけではではありません。

しかし、唐突に感じるのはその通りでしょう。

「仮名遣い」と日本の近代史について見ていきましょう。

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ずつとづつ 仮名遣いについての歴史的変遷。明治期を起点として 始めに。

 

学校では「現代仮名遣い」が正しいと教わるわけですが、日本の長い歴史の中では最近のことにすぎません。

歴史的仮名遣い」は戦前まで一般的な使い方でした。

多くの歴史的な名作も当然「歴史的仮名遣い」によって書かれています。

我々には少し縁遠い「源氏物語」や「徒然草」、「平家物語」などはもちろん、江戸時代の「南総里見八犬伝」や「曾根崎心中」もそうです。

 

明治時代に入って大きく言葉は変化することになります。(この後、書いていきます)

帝国主義の時代、どうしても近代化したい大日本帝国は言葉を大きく変えていきます。

実は、江戸時代から「話し言葉」と「書き言葉」が違うことは問題になっていました。

しかし、生活するのに問題にはなりませんから、そのままにしてきたわけです。

現代仮名遣い」は戦後のものですが、それ以前の大きな変化は明治維新がきっかけになっています。

この頃は、「表音仮名遣い」と言ったりしました。

明治に入り、新しい表現として「話し言葉」による小説や詩歌などが書かれました。

あるいは逆に、文学者としての立場から「話し言葉」を使うことに警笛を鳴らす作家も。

夏目漱石や石川啄木、芥川龍之介や宮沢賢治…

こうした作家達が苦しみながら、楽しみながら(笑)作品を執筆してきました。

こうした変化の最中にもかかわらず、この時代の小説は素晴らしいです。

太宰治は戦後自殺したわけですが、もちろん戦前、戦中(出版されたのは戦後だったりします)の活動が中心です。

いや、キラ星の如しのスター作家ばかりですよ。

つまり、我々の文化の本流と言えるものは「歴史的仮名遣い」の影響下で書かれたものが多いのです。

また、仮名表記の変化だけではなく、敗戦も含めた歴史的な影響はこのブログでは書ききれません。(とはいうものの、少し書きます)

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少しずつと少しづつはの違いは、平安時代と現代の発音の違いから 日本が抱えた言葉の問題とは?

実は私も知らずに間違えて使っていた人の一人です。

日本では明治維新が起こり、どうしても近代化しなくてはならない状況に。

その時に言葉の問題が取り上げられるようになります。

まず早期に、標準語を成立させなければならない問題がありました。

古代においては、現在のようにメディアが発達しているわけではありません。

テレビもラジオもネットもありませんから。

それぞれの地域で言葉はかなり違っていました。

しかし、それでも標準的な日本語としては京都など上方を中心とした地域の言葉が権威を持っていたといわれています。

その後、武士の世の中になり、幕府など政治的な中心地が関東地方に移るに従い、関東の言葉も影響力を持つようになっていったと言われています。

江戸時代の終わり頃には、日本の標準的な言葉は「江戸言葉」という状態になっていたと言う説が有力です。

この辺は意外に思う方も多いのではないでしょうか。

しかし、これは標準語という訳ではありません。

明治五年に「学制」により公教育が始まり、その時すでに日本全国で使われる言葉の重要性については説かれていたものの、実際に標準語の教育が始まるのは明治中期になります。

 

 

標準語の問題は、言葉の地域的な差と言うことも出来ます。

しかし、それ以外にも日本語には問題がありました。

日本では「話し言葉」(口語体)と「書き言葉」(文語体)が長らく分かれて使用されてきました。

書き言葉である「文語体」は平安時代の京都の貴族階級の話し言葉に由来すると言われています。

平安時代初期の書き言葉は「漢文」でした。

役所の公文書も普通の手紙も「漢文」で書くのが正式でした。

男性はその頃の正式な書き言葉である「漢文」で書いていました。

しかし、女性はそうした慣習に縛られず、日記や歌を書くときに話し言葉のまま文字に書いて、そのためひらがなが生まれたと言われています。

清少納言や紫式部などが有名ですね。学校で習ったと思います。

それが平安時代中期になると定着し、男性もまねて短歌だけではなく、日記や手紙を書くようになりました。

これを元に鎌倉時代に、「たり」、「けり」、「べし」、「らめ」の形を持つ「古典文語」が成立したと言われています。

 

平安時代の「書き言葉」は「話し言葉」と一致していました。

それが、このあと発音の自然な変化によって「話し言葉」と「書き言葉」は分かれていくことになります。

それが研究の対象になるのは江戸時代になってから。

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ずつとづつの違いと国学 契沖と本居宣長 歴史的仮名遣いの成立へ

古語と(文語)は同じものではありません。

古語の反対は現代語です。「古語⇔現代語」ですね。

文語の反対は口語になります。話し言葉ですね。「文語⇔口語」です。

「文語」が成立してから日本では長らく、話し言葉(口語)と書き言葉(文語)が分かれていました。

「話し言葉」と「書き言葉」で二語使い分け(ダイグロシア)の状態にあったんですね。

こうした違いはすでに江戸時代から問題になっていました。

 

江戸時代の中期のころ、万葉集の正しい解釈を求める契沖(けいちゅう)が和語を分類した「和字正濫抄」を著わし、後の「歴史的仮名遣い」の成立に大きな影響を与えることになります。

これに準拠した仮名の表記法は「契沖仮名遣」とよばれました。

その後、江戸時代中期に国学で有名な本居宣長などが「字音仮名遣」等の修正を加え、明治時代に「歴史的仮名遣い」として成立することになります。

この過程で「仮名遣い」とは発音の書き分けであり、その後の混乱は発音の歴史的変化が原因であると明らかにされました。

しかし「歴史的仮名遣い」は変化した発音に仮名を合わせようとしたわけではありません。

むしろその逆。

仮名を発明した当初の表記を(経年による発音の変遷にかかわらず)引き継ごうというものです。

この辺は面白いですよね。国学ですから。

考え方が、現代で言うところの原理主義的なんですね。

「歴史的仮名遣い」は元々万葉集や古事記の研究などが元であり、日本というものを追求する国学がその中心にありました。

ところが、明治維新は生き残るため欧米列強に学ぶというもの。

でも、何もかも欧米諸国に学べばいいというものではありません。

言葉はその代表的な一つです。

当時の日本は揺れ動いていて、欧米に対して劣等感も強かった。

つまり、より日本国に対してこだわりが強くなっていきます。

一方で変化はあくまで合理的に行わなくてはいけません。

この時からすでに、言葉を発音に近づけるべきだという意見はありました。

乱暴な意見では、ローマ字化してしまえとか。英語化するべきとか。

しかし、一方で日本の伝統や文化に対して誇りも持っていました。

だから自分の言葉や文字の起源と言えるようなことにもこだわりが強くなります。

本当は発音に文字を近づける方が合理的です。つまり「現代仮名遣い」ですね。

しかし、今までの伝統、国風文化、ひらがなの起源とも言える「歴史的仮名遣い」を否定できない。

もちろん国内でも色々な意見や勢力があります。

その中で明治維新後に成立したのは起源を大事にする「歴史的仮名遣い」でした。

変化するというのは大変なことなんですよね。

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ずつとづつ 明治維新と変化を求められるということ。

ペリーがやってきて開国を要求し、平和だった日本がひっくり返るような大騒ぎになっていきます。

江戸幕府が長州と薩摩を中心とした勢力に倒され、明治維新によって新しい世の中がやってきます。

当時の日本はアジアの外れの極東にあり、同盟を結ぶ国も、兄弟国も無く孤立無助の状態。

頼りになるのは自分達だけでしたが、国内は実質的には小さな国が集まっているような状態でした。

西南戦争など、明治になってからも日本国内では内戦のような状態がしばらく続くことになります。

西欧諸国を中心とした外国の諸勢力は、明治新政府だけに協力していたわけではありません。

自分達の利益の最大化を狙って、日本国内の色々な勢力に接近していました。

「新選組」や「ラストサムライ」などを見ると分かりやすいと思います。

こうした状況では日本全体が一つになることはとても難しかったのです。

 

日本を統一した明治新政府でしたが、

例えば関西弁の兵士が、津軽弁の兵士に命令を伝えることは難しかったのです。

一刻を争うような状況の中で、きちんと会話し、交流するのも難しい。

この様な状況を明治新政府は近代化の障害であると考えていました。

明治新政府は全国で使える標準語を早く成立させたかったのです。

しかし、実際には標準語教育が始まるのは明治中期になります。

 

明治期に始まる公教育に採用されたのが国学の流れをくむ「歴史的仮名遣い」でした。

「歴史的仮名遣い」は実質的に「契沖仮名遣」と「字音仮名遣」のことをいいます。

 

一方、書き言葉の方の方は少し違った状況でした。書き言葉は話し言葉とは使い方も違います、伝える人も、距離なども違います。

元々公式の書類に使われていたのが主な理由と言われていますが…

それだけが理由でもありません。

江戸時代から日本では識字率が高く、読本やかわら版などいろいろな文章が既に文化として定着していました。

今で言うところのポップカルチャー的な読み物が既に広く販売されていました。

「南総里見八犬伝」や「曾根崎心中」もそうですし、映画にもなった「雨月物語」は江戸期の作品です。

日本人は当たり前のことだと思っていますが、この販売されていたというのがすごいんです。

一般に買う人が沢山いた、ということなんですね。

それだけ文字を読める人が多かった。それで食べていける作家がいたわけです。

文字ではありませんが、浮世絵もそうですね。

こうした文化がポップカルチャーとして成立していたのは、もしかすると世界初なのかもしれません。

今でも新聞を買うと必ず新聞に小説が載っていますし、俳句や川柳のコーナーがあります。

こうしたことは実は珍しいと言われています。研究してみると面白いでしょうね。

権威とは離れたところで豊かな文字文化が花開いているのが日本なんですね。

平安時代の王朝文学に始まり、「歴史的仮名遣い」が成立する前の江戸期のことです。

大衆文化として俳句や読本などが定着し、一般の人々にも「文語体」による文字文化は積み重なっていたと考えられます。

それ以外にも手形や交易のための書類、手紙にも使われていました。

「話し言葉」は方言など文化圏が違うとほとんど伝わらないことがありました。

それに比べて「書き言葉」は文化圏が違っても共通した言葉が使用されていました。

交易の書類などにも使われているので、広い範囲で共通の理解が成立する文章でなくてはいけません。

東北や関西など文化圏が違っても問題なく伝わるようになっていました。

これは用法の違いによるものと言えるでしょう。

書き言葉は、話し言葉よりも、公共性が高く、権威もあると考えると分かりやすいですね。

この様な状況下で口語体(話し言葉)と文語体(書き言葉)を一つにしようとする文化活動が起きます。

文壇を中心とする「言文一致運動」です。二葉亭四迷などが始まりと言われています。

しかし、これも長い歴史のある我が国のことですから簡単には進みません。

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ずつとづつ 変えたいことと変えられないこと「歴史的仮名遣い」の成立へ

明治新政府は生き残りを賭けて変化を選んだ人達が作った政府です。

しかし、最初から変化を望んだわけではありません。

明治新政府の要人の多くは尊王攘夷運動をしていました。

尊王攘夷は王を尊び、日本国内から外国の勢力を追い出そうとすることです。

その後、そんなことをしても解決にならないと悟ると、開国に方向転換します。

追い出すのではなく、西欧諸国に学び、力をつける方向へ。

追い出すのではなく、手を結ぶ方向へ。

180度の転換を見せるのです。

それは驚きの大転換でしたが… 魂の方は全く変わっていなかったのですね。

彼らは方向性を転換しましたが、それはあくまで日本国のため。

彼らの多くは保守的な愛国者です。

開国も愛国心からの選択ですから、仮名遣いを選択する際にもその考え方が出るわけですね。

変化を求める。しかし、本質は変わらない。

だから、「歴史的仮名遣い」は原理主義的傾向を帯びています。

常に変化する今より、仮名が生まれた原初が正しい。

過去は変わることなき権威であり、常に完全である。なんて考え方です。

ひらがなは最初に生まれた表音文字ですから、完全なわけはないのですが。

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ずつとづつ 革新とは何か 変化の方向性は明治期に決まっていたことについて。

仮名遣いの変革については、もっと革新的な方向性もありえたと思います。

「歴史的仮名遣い」の反対勢力で最も大きなものは「表音主義」と言われるものでした。

これは仮名遣いを現在使われている発音に合わせようという意見でした。

非常に合理的な考え方で、言葉は生き物ですから、将来の変化にも対応しています。

なら、仮名を表音化すれば良かったじゃないか。まぁ、そう思いますよね。当然です。

実際、現在の「現代仮名遣い」は発音を文字にした表音仮名遣いです。

そう、すでに明治期、「現代仮名遣い」は成立できる状態だったのです。

なのに仮名遣いは表音化しませんでした。

強い革新性のあった「表音主義」者の一部に仮名のローマ字化や日本語を廃止してフランス語を公用語にしようなんて意見もありました。

表記と発音が大きく異なる「歴史的仮名遣い」の教育は非効率である、との主張でした。

表音的な仮名遣いを採用することで国語教育を短縮し、ほかの教科の充実を図るべき、との主張でした。

そうですね。正しいです。現在を知る我々はよく知っていますよね。

しかし、これに森鷗外や芥川龍之介といった作家、山田孝雄といった国語学者が反対します。

それだけではなく、民間の方々からも表音仮名遣いに対する抵抗がありました。

なぜでしょうか。

ひらがなを表音化すると過去の文化を軽視することにつながる。

王朝文学や俳句など膨大な文化的資産が縁遠いものになりかねません。

そしてこのころすでに「文語体」を使った詩歌や読本は大衆のものだったのです。

他の国ではあまり考えられないことなんですが…

天皇陛下の権威を傷つける可能性もありました。

アイデンティティにこだわりがあるので、微妙にねじれていくわけです。

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ずつとづつ 識字率が非常に高い国に生まれて。その喜びと憂鬱

先程から書いているように、「歴史的仮名遣い」の成立には、色々な意見がありました。

意外かもしれませんが、方向性がハッキリと決まっていたわけではありませんでした…

詳しく見ていくと強力な強制力が働いた、とするのは言い過ぎでしょう。

とは言え、時代が時代ですから強制力が働かなかったわけではありません…

世の中の「雰囲気」みたいなものも含めてですけど。

 

その中でも革新的な考え方をする人は多かったのです。

日本語をローマ字に変えようなんて話、聞いたことがありませんか?

いやいや、日本語をやめて、フランス語や英語にしたら?

そんな話もありました。エスペラント語なんてのもあります。

ひらがな、カタカナ、漢字など、とても複雑な日本語です。

簡単でより競争力がある言葉に変わるようにしたいわけですね。

現在もその流れは変わりません。

英語は小学生からの必修になりましたね。

この先どうなるのでしょうか、ずっと未来では日本語は無くなるのでしょうか?

一方、我々の文字、言葉、詩歌、物語などは世界でも屈指の文化を誇ります。

世界最初の小説は源氏物語である、なんて聞いたことがあると思います。

詩歌など、変えたくない文化もたくさん、またその言葉を権威とする人や集団も沢山います。

欧米列強にアジアが席巻される中で、日本人は西欧諸国に対し劣等感を抱いていました。

自国が脅威にされされ、圧倒的な力の差の中、文化も西欧諸国の方が優れているのではないかと感じていました。

無理もないとは思います。

いわゆる、「アイデンティティ・クライシス」的な状況。

それに対して、反発力があるのは、自然な心の反応と言えるでしょう。

 

突然開国を要求され、欧米列強の強い刺激を受け、変化を選んだのが明治維新です。

西欧諸国に学ぶ、富国強兵の流れは変えられません。

その一方で、自分の文化や考え方を守りたいと多くの人達が感じていました。

 

文壇は率先して「話し言葉」で小説や、詩歌を創作しました。

でもなれない表現なので、次の作品はまた「書き言葉」に戻ってしまったり…

「きのうはマジ楽しかった~」なんて書くとところを「昨日は本当に楽しく候」(ごめんなさい適当です)なんて書いていたわけですね。

 

調べる前はもっと強力な政府の指導があったのではないかと考えていました。

でもそうとも言えないですね。政府もかなり迷っていた感じを受けます。

その中で大切な価値観や権威を守るという選択と、「話し言葉」と「書き言葉」を共通化する狙いがあったのでしょう。

伝統の価値を高めることと言葉の革新を両立をさせた「歴史的仮名遣い」は成立することになります。

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ずつとづつの戦後。ナショナリズムの終焉と仮名表記

日本が第二次世界大戦に敗北し、昭和21年1月1日に天皇陛下が人間宣言をされます。

そして「現代かなづかい」が成立したのは昭和21年9月21日でした。

戦後すぐに「現代仮名遣い」は成立することになります。

新しい教科書も含めて早く変えたかったのでしょうね。

GHQが制定にかかわったというのも全てではないでしょうが本当のことだと思います。

他にやることが沢山あるような状況の中で「現代仮名遣い」が昭和21年に制定されるのは印象的ですね。

GHQが制定にかかわったという指摘があります。本当のことだと思います。

また、最終的に日本語のローマ字化を狙っていたなんて話もあります。

どれもありそうなことですが…

仮にそうだったとしても、前に書いた通り明治期から議論されてきたことばかりなんです。

悪意ばかりがあるわけではないんです。

アメリカを中心とした陰謀論は戦争に負けた我々には分かりやすいですよね。

しかし、表音文字を目指してきたのはアメリカばかりではないんです。

実際、戦後に「現代仮名遣い」が制定される時、一番喜んだのは国内の表音主義者だったと思います。

とは言え、私も合理的な選択をありがとう、と言うのが本音ですかね。

その後、昭和61年に「現代かなづかい」は改訂され「現代仮名遣い」になりますが、これは文化的な揺り返しなのでしょうか。

我々の国は思っているよりも保守的なのかもしれません。

 

我々の国は江戸時代から昭和にかけて先例のない変化を常にしてきました。

世界の外れ、極東の後進国から、世界の中の先進国へ。

歴史的なモデルの存在しない、道なき道を進んできたわけです。

これは素晴らしいことであり、驚異的でもあります。

しかし、無傷ではすみませんでしたし、周りも傷つけました。

「現代仮名遣い」は合理性からの選択ですが、それを実現したのは戦後だったのです。

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づつとずつの違いは?どっちが正しい? 少しずつと少しづつなど使い分け

我々は常に変化を追い求め、未来を切り開いてきたような気でいます。

半分は正しいのですが、半分は的外れです。

内側から、変わらなければいけないという強い動機があり、逆に外側から変わることを要求されてきました。

結果的に、すごくいいバランスで日本は民主化しましたが、結果OKの部分が大きいですよね。

将来的に本当にいい選択ができるでしょうか。

仮名遣いはそのモデルケースの一つだと思います。

変化とは何か。何を選択するのか。

モデルの無い選択はこれからも続いていきます。

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