大きな地震があったので仕方ないのですが、NHKやミヤネ屋がやらかしてしまった様です。
何をしてしまったのか?
「島根県の鳥取市」を作ってしまった模様です。
”えっ?”と考える人も多いですよね。
「鳥取市は鳥取県」にあります。(笑)
意外と我々も知らないわけなんですけれど・・・
それだけではなく、黒歴史や因縁もあるようで・・・
こんな時で申し訳ありませんが
少し見て行きましょう。
黒歴史を知らず「島根県の鳥取市」をNHKやミヤネ屋が作成する!後が怖い・・・
こんな具合にやらかしてしまったようです。
地方だからって適当な日本語を使うのはもうやめよう
N▒K「鳥取でインド6弱」
N▒K「ケガ忍」
ミ▒ネ屋「島根県鳥取市から中継」 pic.twitter.com/97GBTB6VAS— 名もなき投資家 ♥٩(ˊᗜˋ*)و (@value_investors) 2016年10月21日
鳥取県「こ、これってもしかして…」
島根県「俺たちはTVの中で…」
鳥取&島根「「入れ替わってるー!?」」 pic.twitter.com/EVHGHEjaVJ
— 人生 (@zinnseiganeta) 2016年10月21日
NHK「鳥取でインド6弱!!」
ミヤネ屋「島根県鳥取市から中継!!」NHK・ミヤネ屋「みなさん落ち着いて行動してください」
どっちがかな(^^;)
— だいてつ(ほしぞら) (@hoshizora1997) 2016年10月21日
島根県鳥取市でインド6とは…… pic.twitter.com/RW2dnqR11D
— 速水レオ (@HayamiReo) 2016年10月21日
10月で神様が集まってる時をピンポイントに狙ってくるとは地球やるなと思ったけどそれ鳥取じゃなくて島根だわ。
— ハヤシ@44進捗80% (@hayashi_lanturn) 2016年10月21日
一般人「地震だ!地震だ!!!」
NHK「インド6弱!インド6弱!!!」
報道陣「島根県鳥取市!島根県鳥取市!!!」
音ゲーマー「地震やしゲーセン空いてるやろ!行こ!」— 猫鯖氏 (@_Mgro) 2016年10月21日
こんな具合です。いやーやってしまいましたねー
でも問題はそこには無いわけです。
実は、鳥取と島根は因縁が深いらしいですよ。
それについて見ていきましょう。
黒歴史を知らず「島根県の鳥取市」をNHKやミヤネ屋が作成する!後が怖い・・・
鳥取県は日本一人口が少ないのですが、平成28年9月1日現在の鳥取県人口移動調査によりますと、鳥取県の推定人口は57万20人(男 272,041人、女 297,979人)です。
前月と比べて183人の減少です。
東京都の人口が1362万人であることから、鳥取県の人口は東京都の約4.2%しかありません。
一方島根県の方もとても少なくて、68万9963人で、こちらは約5%の人口です。
両方足しても10%に満たないことから、いっそのこと合併しちゃえば?という意見が根強くあります。
そしてそれを予感させる出来事も2015年7月に起きました。
参議院の選挙格差を是正するために鳥取と島根が「合区」つまり、一つの選挙区になることが決まったのです。
事実、平成28年参議院議員選挙は行われ、島根鳥取選挙区からは2人の議員が選ばれました。
ところが、です。実は明治時代に一度、両県は島根県に併合されたことがあるんですね。
黒歴史を知らず島根県の鳥取市をNHKやミヤネ屋が作成する!後が怖い・・・
実は明治時代、両県は「島根」という1つの県だったんです。
1876~1881年のたった5年間の期間でしたが、屈辱の歴史を鳥取人は決して忘れていません。
毎年、9月12日の「鳥取県民の日」はそれを思い起こす一日です。
西日本の中には県民の日を設けないところもある中、鳥取人は愛県心を毎年養います。
県民の日に発行された小冊子「鳥取県ができるまで」に併合の歴史が丁寧に解説されています。
そんな昔のこと・・・と思うかも知れないが、例えば明治維新の時の会津藩と長州を知っている方は多いですよね。
歴史的な遺恨というのはけっこう日本中にあります。
しかも悪いことに島根県と鳥取県の場合は、すぐ隣に住んでいるというオマケ付き。
常に刺激があるわけですね。
だから忘れられない。こんなふうのかかれています。
「役所や学校に勤めていた人は県庁の置かれた松江に移ることが多かったので、鳥取は政治や経済の発展から取り残されていきました」
「鳥取から松江に行くのに3日も4日もかかることもあったようです」
苦しい生活となる原因の1つは、島根県に併合されているから――。そう考えた士族たちは、鳥取県の再置を要求します。
大きな勢力は「愛護会」「共斃社」(きょうへいしゃ)という結社で、とくに共斃社は暴力的活動を行い、鳥取を一種の社会不安に陥れたといいます。
驚いてしまいますよね。結社ですよ。少なくとも明治になってからの話です。
こうした状況を見た島根県知事が「両地域は分けたほうがいい」と国に願い出ました。
現地を視察した山形有明の報告書が決め手となり、鳥取県は再置されました。
併合に無理があったのは言うまでもないです。
しかし、なぜ併合は実行されたのでしょうか?
それについて小冊子ではこの様に書かれています。
「鳥取県がなぜ島根県に併合されたのか、はっきりした理由は分かっていません。ただ、当時の明治政府には、江戸時代に石高が大きかった藩や幕末に勢力を伸ばした藩を取り除くという方針がありました。ちなみに、鳥取藩は32万石で、全国で13番目の石高でした」
つまり、人が少なくて、土地が広い田舎ではなく、実力があったため狙われたという主張です。
確かに因幡の国と伯耆の国が一つになった鳥取藩は大藩でした。
このほか、兵庫県の一部が鳥取の領土(飛び地)だったことや、現在の島根県隠岐地方も鳥取の管轄だったことにも触れています。
しかし、近代的な土地の所有制度などが始まったのも明治からなんですね。
これについては外国の制度をまねて始めましたが、それでよかったのか。
ともあれ、いいたいことは沢山あるようです。
「鳥取県再置に努力された方たちのことを思い、力を合わせて自信とほこりを持てる鳥取県を築いていきましょう」
一度手から離れたものを取り返した経験は、そこに暮らす人々の間に残り続けているんですね。
黒歴史を知らず「島根県の鳥取市」をNHKやミヤネ屋が作成する!後が怖い・・・
調べてみるとこの辺の地域はもっと因縁が深いと感じることが多いですね。
今回の事は因幡と伯耆が一つになって、鳥取藩になってからのことなので。
実際はもっと古くから問題があった可能性が高いです。
それこそ大和朝廷とか。
遺跡の配置をみれば、時代的には、弥生後期から古墳時代からという可能性もあります。
出雲も近いので対立の一つ一つにも意味があります。
もちろん隣の島根にも言いたいことは沢山あるでしょう。その辺は視点の違いですよね。
この様に歴史がある地域が人がいないのは寂しいですね。
何とか復活してほしいものです。
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