いやぁ驚きました。ミスターラグビーとも言われる日本代表で主将と監督を務めた平尾誠二氏が20日に死去しました。
53歳の若さでした。
フランス1部リーグ「トップ14」のトゥーロンに所属する五郎丸歩(30)はツイッターで「こんな朝は辛い」と鎮痛なツイート。
「ミスター・ラグビー」の訃報に追悼の声が相次いでいます。
五郎丸歩「こんな朝は辛い・・」平尾誠二氏訃報に衝撃。伝説を産んだ名勝負とは?
1991年の第2回ワールドカップに平尾さんと一緒に出場した元チームメイトの吉田義人氏(47)はフジテレビ「直撃LIVE グッディ!」(月~金曜午後1.45~)に電話生出演。「昨年のW杯(9~10月)の時、テレビで拝見して、痩せられていて、我々後輩は体調を心配しておりました。現場で平尾さんの姿が見られなくなったのは伺っていました。ショックで、なんとも言えません。19年に日本に初めてW杯が来るということで、平尾さんとタッグを組んで、日本ラグビーの素晴らしさをアピールしたかった。平尾先輩こそ、本当に無念だったと思います」と話した。
日本代表の畠山健介(31:サントリー)はツイッターで「ラグビーを知らない人でも平尾さんの名前を知っている人は多かったと思います。もっと長く元気ににほんらぐびーを支えてほしかったです。ご冥福をお祈りします」と追悼のツイート。
真壁伸弥(29:サントリー)はツイッターで「平尾さん!?」と信じられない様子。
思想家の内田樹氏(66)はツイッター「素晴らしいアスリートでしたね。印象に残っているのは同志社を率いて新日鉄釜石と日本一をかけて戦ったお正月の試合の前にインタビューで「今日はお祭りですから、思い切り楽しみます」と言い切った時の笑顔でした。ご冥福を祈ります。」と亡くなった事を偲んでいました。
【訃報】スクールウォーズのモデルとなった伝説のラガーマン ラグビー元日本代表監督 平尾誠二さん死去 53歳~ネットの反応「日本のワールドカップもうすぐなのに…」「森元が死ねばよかったのに」 https://t.co/Z3JDxQVxDs
— アノニマス ポスト (@anonymous201504) 2016年10月20日
岡田武史氏、親交あった平尾誠二さんを悼む「日本のスポーツ界にとって大きな損失」 https://t.co/LtxCMgvazr #ラグビー #rugbyjp
— スポーツナビ (@sportsnavi) 2016年10月20日
先輩やけどむちゃくちゃ遠い存在でなかなか近寄れへんかったけど、社会人になって神戸との試合後に挨拶させてもらった時「三宅、頑張ってるなぁ!」っていう一言で半泣きするくらい嬉しかった。信じられへん。https://t.co/avyVEVSAPP
— Takashi MIYAKE (@Miyacky32) 2016年10月20日
信じられないニュースです。平尾誠二さんが53歳の若さで亡くなりました。日本ラグビー界の黄金期を作ったリーダーでした。自身が神戸で震災を経験したからでしょう、2019RWC釜石招致を強力に応援して「釜石のW杯にはゼッタイに行きたいよ」と話していたのですが…心よりご冥福を祈ります。
— 大友信彦 (@otomorug) 2016年10月20日
【訃報】#平尾誠二 さん死去 53歳、元 #ラグビー 日本代表の司令塔https://t.co/u7esZDqZEw
— ハフィントンポスト日本版 (@HuffPostJapan) 2016年10月20日
五郎丸歩「こんな朝は辛い・・」平尾誠二氏訃報に衝撃。今も語り継がれる、花園史上最高の伝説の名勝負とは?
平尾さんで有名なのは「スクール☆ウォーズ」のモデルになった伝説のラガーマンだと言う事ですね。
ドラマ「スクール☆ウォーズ」は、1984年からTBS系列で放送されて大人気を博し、これがきっかけでラグビーブームが起こりました。
あの大映テレビが制作したので内容はツッコミどころ満載で”オイオイ”と言う所がいっぱいあるのですが、試合の部分ではスコアや試合展開はそのままだったそうです。
つまり、脚色の必要が無いほどドラマティックだったんですね。
どんな試合だったのでしょうか?見ていきましょう。
1981年、第60回全国高等学校ラグビーフットボール大会の決勝戦は東大阪市の近鉄花園ラグビー場で行われていました。
対戦していたのは、伏見工業高校x大阪工業大学高校(現・常翔学園)この2校は春の近畿大会決勝では10-8で工大が勝ち、秋の国体決勝では10-10で引き分けでした。
雌雄を決するべく冬の花園に出場した両校は、圧倒的な力で共に決勝進出を果たしました。
パワーの工大xスピードの伏見工という優勝候補同士の対決、更に地元の近畿決戦ということもあって、寒風吹きすさぶ中にもかかわらず花園は超満員。その期待に違わぬ好試合となりました。
この試合まで負け越している伏見工は試合開始からペースを掴みます。前半3分、センター(CTB)細田元一のペナルティ・ゴール(PG)で3点先制。
パワーで上回る工大は空回りが目立ち、終始伏見工ペースで前半の30分を終えました。
3-0と伏見工リードで後半開始。泣いても笑っても後30分です。
しかし、このまま引き下がる工大ではありませんでした。
後半6分には工大のCTB東田哲也がPGを決め3-3の同点に追いつきます。
このPGで息を吹き返した工大は、動きが良くなりまさしく一進一退の攻防となっていきます。
試合のスコアは3-3、双方ノートライのまま試合は進み時計の針はノーサイドまで後1分の29分を指していました。
もし同点のままノーサイドになれば引き分けで両校優勝となります。
しかし、両校は勝利を諦めていませんでした。
特に、伏見工はそうでした。
引き分けで終わった秋の国体決勝ではノーサイド寸前まで伏見工がリードしていたのでした。
ところが最後のワンプレーでミスが出て、工大にトライを奪われ、更にコンバージョンゴールを決められて引き分けに持ち込まれていました。
伏見工にとって負けに等しい引き分けでした。
秋の国体決勝で伏見工は大切な事を学びました。
ノーサイドにの笛が鳴るまで、何が起こるか分からない、と。
国体決勝での経験が最後の最後で活きることになります。
後半29分、工大陣地25メートルからのスクラムで、伏見工にボールが出ます。
工大は伏見工の切り札、スタンドオフ(SO)平尾誠二を警戒していました。
しかし、その平尾の飛ばしたパスにより工大ディフェンス網が崩れます。
ボールはウィング(WTB)栗林彰に渡り、栗林は工大の選手を振り切って左隅にトライ!ついに均衡が破れました。
伏見工フィフティーンは喜びを爆発させ、スタンドは大歓声に包まれました。
ところが、工大は諦めませんでした。
トライの後のコンバージョンゴールが外れたため、工大は国体決勝の再現を狙って伏見工陣内に攻め入り、執拗な攻撃を繰り返します。
それに耐える伏見工。
そして、伏見工が守りきって見事に7-3で初優勝を成し遂げました。
この快挙が「スクール☆ウォーズ」のモデルになったと言われています。
五郎丸歩「こんな朝は辛い・・」平尾誠二氏訃報に衝撃。伝説を産んだ名勝負とは?
やはり、本物の試合というのは誰か個人が大活躍して・・・と言う内容ではないですね。
ずっと活躍してきた中で、ポイントになる人がラグビー界の「レジェンド」と言われるようになるのだと思います。
この後、国際試合でボロ負けしてラグビー人気は地に落ちるわけですが、そんな時に地道に活動していたのが平尾さんでした。
そもそも体格的にラグビーは日本人に向いていないと言われ、競技人口も野球やサッカーの様に多くありません。
平尾さんは見るからに紳士で、リーダーシップのある方でした。
正直、損失は計り知れないと思いますが、ワールドカップで南アフリカに勝つ所を見せることが出来て本当によかったと思います。
ご冥福をお祈りします。
いえ、本当にありがとうございました。
コメント